追憶の砂(小説)
追憶の砂
日暮 彩
幼いころ、両親に連れられて鳥取砂丘に行ったことがある。見渡す限りの砂の大地。砂のひと粒ひと粒が太陽の光を浴びて輝いていた。私が小さな手ですくうと、キラキラしたそれは指の間からこぼれていった。目を上げると両親の笑顔があった。
22歳になったばかりの時、連城財閥のトップである父は海外との大きなビジネスを成功させ、そのお祝いのため両親と共に南太平洋のバカンスを楽しんだ。ところがその帰り、私たちが乗っている飛行機が砂漠に墜落した。救助が来るまでの丸一日、私は砂の上に倒れていたらしい。乗員乗客300人余りのうち、生存者は私ただ1人だったそうだ。一命は取り留めたものの、事故は私から体のあらゆる機能を奪い、聴力と体のわずかな感覚だけが残された。
入院中、そして退院後の面倒は、母の妹である叔母が引き受けてくれた。自己顕示欲が強く金使いが荒い叔母は母と仲が悪く、私も嫌いだったが、他に頼める人もいないため仕方がない。というより喋ることも書くこともできないので、自分の意思を伝えようがなかった。自宅の私の部屋はそのまま病室となり、訪問看護師や介護ヘルパーの手を借りて生活することとなった。
叔母は毎日のように私の元を訪れていろいろ喋るので、嫌でも自分の置かれた境遇を知ることになった。
「絵美ちゃんのことが週刊誌に大きく出ているわよ。『未曾有の航空機事故 唯一の生存者は連城財閥 22歳のご令嬢』ですって。今日も雑誌社の方が取材にいらっしゃるそうよ」
連日叔母はがやがやと記者を引き連れては、自分が悲劇のヒロインであるかのように私のことを大袈裟に喋った。その口調はどことなく楽しそうだった。見えない、話せない、動けない私の思惑をよそに、記者たちが騒ぎ立てながら私をカメラで撮影している音がした。私は完全に晒しものだった。
そんな私の唯一の救いは、幼馴染の恭太の存在だった。彼とは子供の頃いつも一緒に遊んでいて、当時は彼のお嫁さんになると公言していた。高校を卒業した頃からは、自然と彼に淡い恋心を抱くようになっていた。もし順調に進んでいたら、最高の恋人同志になっていたかもしれない。
ある日、私の耳が正常なことに気がついていない叔母が、懇意にしている記者に笑いを含んだ声で話しているのが耳に入った。
「連城家の莫大な財産はすべて絵美ちゃんに相続されたそうよ。でも絵美ちゃんはこんな状態だから、財産を管理しているのは私なの」
「え〜! それって好きなように使えるんじゃないですか?」と記者が言った。
「ここだけの話、絵美は一生このままだから、実際は私の財産も同然よ。今までは連城家の財産は姉さんたちが独り占めしていたから、これからは好きに使わせてもらうつもりよ。今、絵美を主人公にして、事故のノンフィクション映画の話もきているの。植物状態でも悲劇のヒロインとして、どんどん稼いでもらうわ。事故のおかげで私は一生安泰よ」
叔母のくすくすという笑い声が聞こえた。
記憶の中にある砂が勢いよく舞い上がった。その砂のひと粒ひと粒が針になって降り注ぎ、少しずつ私の体を突き刺していった。
意思表示することもできない私は、叔母にとって金のなる木にすぎなかった。神さまはなぜ私に聴力だけを残したのだろうか。このまま一生、叔母のもとで聞くに耐えない言葉を浴び続けないといけないのか。いっそのこと殺してほしい、それが駄目なら意識さえも奪って欲しかった。
「絵美、元気か?」
待ち望んでいた恭太が久しぶりに来てくれた。私は嬉しさのあまり、見えない目を見開き、動かない両手を差し伸べた。いつもは明るく話しかけてくれるのに、その日は違っていた。そばにいる気配はあるのに何も話さず、べたつくような視線を感じた。少し不安になった。
「どうせ絵美は何もわかんないし、いいよな」
囁くような声がした後、異様な感覚がした。布団が捲り上げられる音、下着の中にざらざらした手が少しずつ入ってくる感触。獣じみた荒い息づかい。一瞬、オムツをつけていることを彼に知られたことが恥ずかしかった。私が何も反応しないことに安心したのか、彼の行動は大胆になっていった。それから私の身に何が起こっているのかわかった時、声にならない声で叫び、動かない手足で暴れた。だが現実の私は、大人しく、されるがままの人形だった。もし将来恋人同志になった時、彼とこうなることを夢見たこともある。私の中の砂が真っ赤に燃え上がり、足の指先から焦がしていった。普段は鈍っている体の感覚が異常に研ぎ澄まされ、叫びだしたいほどの熱さと痛み、そしてほんのわずかな懐かしさが広がっていった。幼いころに両親と見た記憶が蘇った。
どのくらいの月日が流れただろう。夢うつつの状態の中で、叔母がわざとらしい泣き声とともに私のことを喋っているのが聞こえた。「カット」という声の後、がやがやとたくさんの人の声がしている。映画の撮影は順調に進んでいるようだ。
恭太は、看護師が不在のわずかな時を狙って度々訪れるようになった。そしてだんだん慣れた様子で私という人形を弄んでいく。なぜだろう。今まであんなに荒れ狂っていた私の中の砂は今は静かだ。そして私は少しずつ砂の中に溺れていく。両手の隙間から冷たい砂がこぼれていき、物音も人の声も遠のいていく。
今日も入れ代わり立ち代わり誰かが来て何かを喋っている。恭太が部屋にあった金を盗もうとしたところを叔母に見られたらしく、激しい口論になり、そのあげく叔母を刺し殺したそうだ。でも私にはもう何もわからない。その代わりに少女の頃に見た穏やかな砂が私を覆っていき、優しい気持ちになる。両親の笑顔が見える。次の瞬間私はキラキラした美しい砂に埋もれていった。
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#小説
【筆者より】
根っからの悪人はきっといないと思うのですが、特殊な状況に追い込まれた時、普段は隠れていた心の闇が現れるかもしれない。
そしてその闇に翻弄され壊れていく様子を書きたいと思いました。
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言の葉集について
私が学んでいる文章講座のふみ先生を中心として、定期的に生徒さんたちが発表している「月刊ふみふみ」。
そこに入稿させていただいた作品を中心に、自分のブログにまとめています。