遠距離介護日記 〜鳥になった父1
大阪の介護施設で不良じーさんしてた父でしたが、大阪に来て8ヶ月が過ぎたある日、他界いたしました。
93歳でした。
月曜日に、入院している病院から、「呼吸が不安定になってる」と連絡があり、その2日後の水曜日、再び駆けつけた時にはもう意識も呼吸もありませんでした。
しばらくの間は病院の計らいで父の病室で過ごすことができましたが、それから葬儀社への連絡、病院の会計、搬送、葬儀の打合わせ。。
と目まぐるしく動くことになりました。
そして土曜日、葬儀と初七日を滞りなく終えることができました。
身内のみのささやかな葬儀でしたが、花を愛でるのが好きだった父のために、お花をいっぱい飾った祭壇にしました。

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私が幼い頃の父はとても優しくて、休みの日にはいろいろな所に連れていってくれました。
思春期になると急に厳しくなり、勉強しろと言っては怒り、帰りが遅いと言っては怒っていたので、ケンカばかりしていました。ほっぺをひっぱたかれたのも一度や二度ではありません。
この頃は父のことが大嫌いでした。
ところが私が二十歳になった途端何も言わなくなりました。
これ幸いと遊びほうけていましたが、急に何も言わなくなると、それはそれで寂しかったです。
その後は私のことをひとりの大人として扱ってくれて、いろいろな話をしました。
(しょーもない世間話ですが。。)
ひとりっ子の私が大阪に嫁ぐことが決まっても、恨みがましいことは何ひとつ言わず、黙って見守ってくれました。
だんだん身体が弱ってきて、東京の病院から直接大阪の施設に移住する時も、怖いくらいに何も言わずに私に従ってくれました。
父なりに覚悟を決めたようでした。
大阪に来てからまる8ヶ月、できるだけ夫や息子と一緒に施設を訪れて、両親と過ごす時間を持つようにしました。
耳が遠く声も小さい父と会話するのは難しかったけど、一緒に過ごす時間は穏やかで、大好きなひと時でした。
父の思いはわかりませんが、晩年、父と一緒の時間を持てたことで、私が父にしてあげられる精一杯のことはできたかなと思っています。
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葬儀の間は泣いてばかりいた頼りない喪主でしたが、翌日、青空の中、鳥が翼を広げているような形の雲を見ました。
それで、無事に父を送ることができたと安堵しました。

これから納骨の準備、各種手続きなど、気の遠くなる作業が待っていますが、目の前のことを1つずつ乗り越えて、父とさよならしていこうと思います。


