天真爛漫(エッセイ)

天真爛漫

        日暮 彩

私は心の中に鬼を飼っている。
気がついたのはつい最近だ。

私の母は、専業主婦が多かった昭和の時代には珍しく、ずっと仕事をしていた。明るくて気さくで手芸が上手で、どこにいても場の中心になる人だった。私と母は親子というより友達のような関係で、叱られたことは一度もない。まるでホームドラマのように明るくて、理想的と言えるかもしれない。この関係をあらためて考えてみたことがあった。何か違和感があった。事実なのに、こんなきれいなことだけではないと思った。

私が少女の頃、母は近所の音楽教室の事務員として働いていたが、残業になることが多かった。
父は三勤交代制の勤務で、夜勤でいない時、私はひとりで母の帰りを待った。5分おきに玄関から出て、母の姿が見えるまで待ち続けたり、寂しさに耐えられなくなって職場の近くまで行くこともあった。
忙しい母に本音をいうことはできなかった。私は母から叱られたことがない代わりに抱きしめられた記憶もない。

また、両親はよく言い争いをしていた。
ほとんどは父の子供っぽくて自分勝手な性格が原因だが、母も勝ち気な性格ゆえ激しい夫婦喧嘩になる。そんな時、私はおろおろし、父の機嫌を直すため、謝るように必死で母にお願いしていた。そのうち母も私の熱意におされ、不承不承、父に謝りその場が収まる。
父や母の思いを察する余裕などなく、とりあえず平和になれば私は満足した。
でも、いつか母が私に愛想をつかしていなくなってしまうのではないかと、不安でたまらなかった。
母なりに私を愛してくれたことに変わりはないが、いつも母は何か遠い別のものを見ているような気がした。

友人関係でも同じく、私は関係が悪化することを恐れて、取り繕うことが多かった。
私を含めて3人の交流があった時、私以外の2人の意見が真っ向から割れたことがあった。2人はそれぞれ私に相手に対する愚痴を言い、同意を求めてきた。私は自分の意見を述べるより、3人の仲がこじれることを恐れ、どっちつかずの中途半端な立場になった。私は自分の本音を語ることができないまま、ふたをして押さえ込んできた。

両親や友人から愛され天真爛漫で奔放な性格。いつもニコニコしていて、悩みなどない。
自分で無意識のうちにそんなキャラクターを作り、演じていたと思う。そしてそれが本来の自分だと思っていた。
でも実際は孤独を恐れるあまり、表面上は明るく取り繕っているだけだ。明るくてかわいいいゆるキャラが着ぐるみをとると、生々しい人間の本質が現れる。

そのことに気がついてから、変わったことがある。
以前は、子どもの虐待や子どもが巻き込まれた事件の話を聞くと、気分が悪くなっていた。今もそれは変わらないが、あえてむごい事件や出来事を調べて、あれやこれやと想像してしまう。吐きそうなるが、それでもやめられなくなった。
人の心が壊れることに対して、異常なほど興味を持つようになった。

私の中にひっそりと住んでいる孤独な鬼をなだめるためなのだろうか。まだまだ私は自分のことがわからない。

 

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#エッセイ

 

【筆者より】
初めての入稿作品です。 ふだん私はひとりの時間を大切にしていて、旅行もカラオケも平気なのですが、書いていくにつれて、私が一番恐れているのは孤独だと気づきました。 文章を綴ることは自分のダークな部分にも向き合わないといけないのだということがわかりましたが、同時にもっと自分を知りたいと思いました。

 

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言の葉集について

私が学んでいる文章講座のふみ先生を中心として、定期的に生徒さんたちが発表している「月刊ふみふみ」。
そこに入稿させていただいた作品を中心に、自分のブログにまとめていこうと思います。

ペンネームは「日暮 彩」(ひぐらし あや)
苗字は私の旧姓、名前は本名の漢字を変えたものです。


 

 
 

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