音のない部屋(小説)
音のない部屋
日暮 彩
目が覚めた。目をぱちぱちさせて周りを見ると白い世界が目に飛び込んできた。天井も壁も、私が横たわっていたベッドもすべて白い。わけがわからなかったが、しばらくすると今までになかったような穏やかな気分になった。再び目を閉じるとどこかからか声がして、
「ここは静かだね」
とささやいた。どこかで聞いたような声だ。ああ、父に似ている。
私は物ごころがついたころから父が大好きだった。父はなんとかいう大きな会社を経営していて、広い家の中は常にお客さまや秘書の人、それに何人ものお手伝いさんが出入りしていた。母は早くに病死していたし、父も仕事が忙しくめったに私と遊んでくれる時間もなかった。でもたまに休みが取れると私の部屋に来てくれて、一緒に絵を描いたり、私のつたないピアノ演奏をにこにこしながら聞いてくれた。その時の情景は目に焼き付いているが、どんな会話を交わしたのか、どんな音楽を弾いていたのかはまるで覚えていない。静かで幸せなひと時だった。
私が十歳になった誕生日、お祝いの席に父は私の前に女の人を連れてきた。結婚するつもりだ。お前のお母さんになる人だよ。そう言った。その人は美しかったがよくしゃべる人で、家の中は騒がしくなった。
しだいに父はたまの休みの日も彼女と過ごすようになり、私の部屋に来てくれることはなくなっていった。家の中では彼女のキンキン声が響き渡り、私は自分の部屋にいても耳をふさいでいることが多くなった。
ある冬の夜、めずらしく家の中は私と彼女しかいなかった。私がリビングに行くと、彼女は暖炉の横で、口を開けて小さないびきをかいて居眠りしていた。それを見た瞬間、私は彼女を静かにさせる素晴らしい方法を思いついた。
私はすぐにキッチンに行き、大きめのトングを持ってきてリビングに戻った。暖炉の中で燃えさかる薪の中から小さなものを選び、トングではさんで取り出した。薪は先の方が炭になりかけていたが真っ赤に焼けていて、その熱気が私の顔に押し寄せた。あまりの熱さに顔を少しそむけた拍子にトングを落としそうになってしまった。私はあわててトングを持つ手に力をこめて、薪を落とさないように注意しながら薪の先を彼女の口に押し当てた。口を火傷したらおとなしくなるかなと思ったのに、予想に反して彼女は大きな金切り声をあげた。さらに私はまだ十分に赤くなっている薪を喉の奥まで突っ込んだ。
彼女は目を見開き、燃えさかる火と同じくらい顔を真っ赤に染めた。しだいに声も小さくなり、私はいつもより美しい彼女の表情にしばらく見とれていた。
数日後、私は彼女が死んだことを聞かされた。これでまた父と二人の静かな時間が戻ってくる。それなのに、父は悲しい顔をして私から離れていった。父が何か手をまわしたらしく私は警察にいろいろ聞かれることはなかったが、遠い知らない親戚に預けられ、二度と父に会えなくなった。
二十歳になった私は、どこか父の面影がある男性と恋に落ちた。彼はもの静かな優しい人で私は幸せだったが、ある日突然別れを告げられた。理由を聞いても何も答えてくれず、明日この部屋を出ていくと言われた。今度こそ私は愛する人を失いたくなかった。その夜、彼が眠っているときに彼の身体をめがけ、渾身の力をこめて重たい本棚を倒した。さらに動かないように両腕をしばり、テーブルに固定した。彼は口から血を流しながらおびえたような目をして、救急車を呼んでくれ、ここから出してくれと叫んでいた。
私は彼の口にタオルを突っ込むと、彼はぐったりとしておとなしくなった。
私は再び幸せな日々を手にした。彼はどこにも行かず、黙って私だけを見つめてくれる。私が作った料理をスプーンで差し出すと、少し顔をしかめたが、小鳥のようにわずかに口をあけて食べてくれる。私は彼が愛しくてたまらなかった。
ある日けたたましいサイレンが鳴り響き、大きな音を立てて警察が家に入ってきた。瞬く間に彼が連れ去られて、私はまたひとりぼっちになった。
ベッドから降りて窓を開けると、鉄格子がはまっている。細長く切り取られた空は青くまぶしい。ここがどこなのか、なぜ私はここにいるのかという疑問が頭をかき乱したが、それも一瞬だけだった。また「ここは静かだね」というささやき声がどこかから聞こえた。私はベッドに戻り、眠りについた。
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#小説
【筆者より】
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言の葉集について
私が学んでいる文章講座のふみ先生を中心として、定期的に生徒さんたちが発表している「月刊ふみふみ」。
そこに入稿させていただいた作品を中心に、自分のブログにまとめていこうと思います。