テネシーワルツ(小説)

テネシーワルツ

日暮 彩

披露宴会場内では弦楽器の華やかな音楽と、人々が談笑するざわめきが交差している。前方には作り物の巨大なウエディングケーキがあり、その隣にある金屏風の前では、彰人と沙也加が上気した顔で鎮座している。今は洒落たレストランでのパーティーや写真だけの結婚式も流行っているのに、昔ながらのホテルでの披露宴だ。しかも彰人は白の紋付き袴、沙也加は、日本髪にべっこうのかんざしと、細かい桜の花が刺繍された白無垢姿。目も口も大きく派手な顔の沙也加に清楚な白無垢は似合わない。真っ白に塗りたくられた化粧もどことなく田舎くさい。私だったらもっと綺麗に着こなせる自信がある。私は中央に近い友人席から、冷ややかに沙也加を見つめていた。

彰人と私が出会ったのは、1年前の夏、あるイベントのパーティーだった。私は心臓病を患っていたがその日は体調がよかったため、友人の沙也加が誘ってくれたのだ。沙也加が他の人と喋っている間、私は手持無沙汰になって、ワイングラスを手に壁際に一人で佇んでいた。その時、話しかけてくれたのが、彰人だった。私たちは好きな音楽の話で盛り上がり、ダンスタイムになった時も、彼に引っ張られる形でフロアに出た。

「ダンスなんて初めてだから、踊れないわ」

「大丈夫、俺がリードするから流れに任せて」

彰人は私の手をとり、軽くステップを踏んだ。私は初めて聞くセクシーで切ない音楽と、初めて男性とのダンスに興奮した。後で聞いたらテネシーワルツという歌だった。

翌日、私はテネシーワルツのCDを買い一日中聞いていた。それからも時々、彰人とコンサートに行くようになり、天にも昇る気持ちの毎日だった。沙也加にも彰人のことを話したら、喜んで応援してくれた。

だが半年後のある日、私は彰人と沙也加が親しげに街を歩いている所を見てしまった。そのショックからか私は発作を起こし、何度目かの入院をした。ひとり病室で、彰人と沙也加の仲が進展しているかもしれないと考えると、ますます胸が痛んで、いてもたってもいられない思いだった。私は頭を振って、先ほど母が買ってきてくれた音楽雑誌をめくった。アメリカの古いポピュラーやカントリーが紹介されていて、テネシーワルツのことが書いてあった。その和訳を見て私はどきんと胸が痛んだ。なんと友人に恋人を紹介したら、友人に彼を奪われた歌だったのだ。私は彰人と沙也加がテネシーワルツを優雅に踊る姿を空想し、やがて彼が彼女を見つめて抱き寄せてと、微に入り細に入り妄想し続けて夜も眠れなくなった。食事も喉を通らなくなり、心も体もますます病んでいった。

ある日、私の病室に沙也加がお見舞いにやってきた。ショッキングピンクのワンピースにブランド物のバッグ、さらに大きな薔薇の花束を抱えている。病室の中は、沙也加が身につけていた香水と、薔薇の香りでむせ返った。

「雪乃、今日はあなたに謝らないといけないと思ってきたの」

沙也加が少し神妙な顔で言った。

「実は今度、彰人さんと結婚することになったの。雪乃には黙っていたけど、私、前から彰人さんと付き合っていたの。雪乃が彰人さんに夢中だったからそのままにしてたんだけど、この前、彰人さんからプロポーズされてね。ごめんね。でも結婚式には必ず来てね」

その時の自分の心境を覚えていないが、思っていたより冷静だったと思う。笑顔も浮かべていたかもしれない。そして帰る間際に、沙也加は私の耳元で何かをささやき、優雅な足取りで出ていった。私の頭の中で、彼と踊っているのは自分の姿に代わっていて、それが当たり前のように思えてきた。なぜこんなに思い悩んでいたのだろう。彼を盗られたのなら盗り返せばいいだけのことだ。幾日も私を悩ませ続けた頭痛は収まり、その日は久しぶりに熟睡した。


「ご歓談の途中ですが、新婦はお色直しのため、中座させていただきます」

司会のアナウンスがあり、沙也加は立ち上がった。

周りの人たちから祝福の声をかけられ、満面の笑みをたたえたまま、だんだん私の席に近づいてくる。先ほどまで胸の動悸が激しかったが、今は静かだ。私は椅子の下に忍ばせていた包丁を取り出した。沙也加が私の目の前に来て、横を通り過ぎようとしたその時、私は勢いよく立ち上がり、彼女の胸に包丁を突き立てた。打掛の生地が分厚すぎて、包丁が刺さったかどうかわからなかった。私の脳裏に、お見舞いに来たあの日、沙也加が、帰る間際に申し訳なさそうに、でも勝ち誇ったように言った言葉が響いた。

「雪乃が恋も知らずに死ぬなんてかわいそうだから彰人を譲ってあげたの。彼から愛してるのは私だって言われたから私も悩んじゃった。でもいい思い出になったでしょ?」

私は包丁を持つ手に力を込めて、さらに深くえぐりこむようにして押し込んだ。打掛の白い布地に赤い色が少しにじんで見えた。沙也加のアイラインで囲まれた目が大きく見開かれた。その目は、

“どうして? 私は雪乃のためにしてあげたことなのに“

と問いかけているようだった。やがて苦悶の表情を浮かべ、私の目の前でゆっくりと倒れていった。周りの人たちの叫び声が聞こえる。

頭の中で、テネシーワルツを歌うパティ・ペイジの声が歪んだ。次の瞬間、今までにないくらいの強烈な発作が起き、やがて何も聞こえなくなった。沙也加の笑顔が見えた。

 

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#小説

【筆者より】

テネシーワルツは好きな歌でしたが、切ない別れの歌だと漠然と思っていたところ、和訳を目にして驚きました。そこから女友達との微妙な関係を書きたいと思いました。これからも好きな楽曲をテーマに、物語を展開していくのもいいなと思っています。

 

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言の葉集について

私が学んでいる文章講座のふみ先生を中心として、定期的に生徒さんたちが発表している「月刊ふみふみ」。
そこに入稿させていただいた作品を中心に、自分のブログにまとめています。

ペンネームは「日暮 彩」(ひぐらし あや)
苗字は私の旧姓、名前は本名の漢字を変えたものです。

 

 

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